雑草がない畑って変だよ

あって当たり前

台湾東部に住む農夫、簡子論。

種に魅せられ台湾在来野菜を育て種を保存し、

古くから伝たわる食文化の研究に勤しんでいる。


DSCF1076.jpg


 どこからどこまでが畑なのかわからない。きちんと区分けされて植えられている畑とは全く違う。まるで野生の森のようだ。ここは簡子論の畑。彼はどんどん畑に入っていく。自分の背丈ほどもある植物や野菜がいっぱいの道なき道を私も一緒に分け入っていく。

 「足元に南瓜があるから、茎はよけて」。

 ウコンの仲間、百合の仲間、芋頭(山芋の仲間)、赤キヌア、臭豆腐の原料、阿美族の唐辛子、香蕉(バナナ)、芭蕉、(生姜の仲間)、蔥......。畑には野生のもの、植えたもの、どちらも共生している。植物の大きな葉をかき分けながら歩き、あちこち注意深く野菜や植物の様子を観察している。

 簡子倫は農夫だ。ただ、いわゆる普通の農夫とは違うかもしれない。彼が追いかけているのは「種」。台湾の在来野菜を育て、種を採種し保存する。台湾には種類は多くあるが、残っているものは多くない。簡子倫は、種を調べに先住民族の人たちを訪ね、彼らが自然を敬い農業をしてきた想いや知恵を知る。在来野菜を残すことで先住民族の人たちが培ってきた食文化を、現代の生活の中にもっと生かすことはできないか、いろんな人に知ってほしい、体験してほしい、残していきたい。簡子倫の頭の中は、いつも種のことでいっぱいに見える。種を保存しておくことは今後の農業の発展のためには欠かせないのだそうだ。

 日本にもたくさんの在来野菜がある。例えば大根でも品種が違えば、どうやって調理するのがいいのか、わからないものも多い。常に流通しているわけでもなく、日頃食べ慣れていないものを生活の中にコンスタントに摂り入れるのは、そう簡単ではないだろうし、慣れることに時間がかかりそうだ。

 簡子倫に会うたび、土や草のにおいや、自然に対しての感謝など、自分の中で、あ、ちょっと忘れてたな、と思う感覚を思い出し、暖かい気持ちが満ちてきてほっとする。簡子倫からそういう暖かいものを受けとる人は、少なくないと思う。むしろ、そういうものにふれたくて、彼の周りに人が集まってくるように思う。


DSCF1328.jpg


 台湾東部の町、花蓮。海と山の間にある小さな田舎の町。街を出れば、一面に田畑が広がり、山には雲や霞がたなびいている。花蓮は自然が豊かな土地。初めて花蓮に来た時、海側から山間まで車でぐるりと一周し、「あぁ、これが本来の台湾の姿なんだな」と、台湾の原始の自然の姿を見た気がした。ここには「フォルモサ(美しい島)」といわれる台湾本来の自然が残っているといわれている。

 その旅の途中、太平洋を望む海辺で、夕暮れ時の柔らかな風に吹かれながら、ふいにはっとするものがあった。今まで見てみないふりをしてきた自分の中の何かに気づいたような感覚。そして、同時にこの土地がとても愛おしくなり、心の底からここに住みたいと思った。祈るような気持ちで、ちょっとのスペースでいいのでここに住む場所を与えてくださいと、その場で心から神さまにお願いをした。


DSCF1161_02.jpg

   

 当時、仕事を離れるなんて考えもしなかったし、住むなんて無理だと思う反面、「絶対花蓮に住むことになる」という根拠のない確信だけがあった。それから10ヶ月後、しばらくの間この街に住めることになった。住みはじめて少したって簡子倫と彼の奥さんの林瑞怡と友達になった。その頃簡子倫はまだ農園で農業の修行をしていた。農園から独立すると、野菜や米を作り出荷をするのが一般的。けれど、簡子倫は作物を出荷することよりもまず「種」が大切だと考えた。

 「なぜ種にいきついたの?」

 「発展しすぎる経済への反省みたいなもの。多くの豆類や作物が輸入されている。本当は台湾にたくさんの品種があるはずなのに、多くを知らない。まだみたことのない作物の種はどこにあるのか、あったとしたらどうやって植えていくのか、種は畑の環境とどんな関係があるのか、人と食べ物、人と環境との関わり、種を深く知ることで見えてくる文化をももっと理解したくなったことが、種を追いかけることになったきっかけかな」。

 独立してすぐの頃は、畑の生態系を知るために畑にテントを張って過ごしたこともあったそうだ。

 阿美族の老人達に在来野菜のことを聞きに、集落へ阿美族語ができる人を連れて通った時期もあった。先住民族の老人達は、在来野菜に対して知識や知恵が豊富だ。どうやって植えたらいいかわからない野菜のことも、彼らならわかることがたくさんある。

 簡子倫の畑には生姜やウコン類、南瓜や山芋、葱、稗、赤キヌア、唐辛子、いろんな種類が共生している。この畑には、どこからどこまでがかぼちゃで、などの区分けはない。混沌としている。

 「雑草がない畑って変だよ。あって当たり前。無理に抜かなくていい」。

 簡子倫は畑に蒔く肥料も自分で作る。雑草を抜くこともないし、葉に落ちた鳥のフンも雨が流してくれるので肥料になるという。畑の中も例えば、葱が不要なものは、豆が食べてくれるといったようにそれぞれの役割がある。そのバランスがうまく保てるように畑を世話している。この畑では植えたものも、ほぼ野生化して生きていく。

 「いい野菜が育つためには、土が重要。いい菌が育つ土壌からは、悪い菌が消えていく。いい菌がいる土壌で、つまり生命力が高い豊富な畑で育った野菜を食べたら、体も元気でいられる。消費じゃなくて、循環が大事」。

 畑で採れた作物は、基本的には出荷はしない。今は出荷よりも種の保存に力を入れたいのだそうだ。冷蔵保存した種は、自分の畑に蒔く以外、先住民族の人たちが種が足りなくなった時には喜んでさしだす。

 そのうち台湾の中でも、ここにしかないような種を保存しているところになりそうな予感がする。今後、簡子倫の種を蒔いて、農業をしてくれる人たちが増えるといい。

 農作業以外には、小学校の課外授業で種と生活文化体験の講師もしている。種の紹介や、実際に畑へ行き農作業を一緒にする。

 畑で採れたもので、豆腐乳(豆腐を発酵させたもの)、塩麹、甘酒、臭豆腐、ウコンを細かくして乾燥させたものなどいろいろ作る。売ることもある。でもパッケージは準備しない。使い捨ての袋は用意していないので、袋を持ってきてくれるよう事前に呼びかける。包装がきれいすぎてもよくないし、大事なのはゴミを出さないこと。台湾は面積が広くなく、すでにゴミを埋める場所がない。土や環境を大事に思っているので、今から未来を見据え、ゴミは少なく余分を出さない。台北藝術大學を卒業している簡子倫は、本当はデザインも好きだ。温かみや可笑し味のある包装類を作れるのだが、今は使わなくなったものを再利用することに知恵を使う。

 台湾の人は、古いもののいいところを残し、新しいスパイスを取り入れていくのがとてもうまい。私は新しいものより、古いものに惹かれる。適度な加減で雑然としているのが好きだ。整いすぎず、ちらかりすぎず、新しすぎず。使用感はあるけれど魅力的、その加減のよさを簡子倫夫婦の家と生活に感じる。彼らといていつも感じるのはお金のあるなしにとらわれない生活の豊かさ。きっと心が豊かだからなのではないかと思う。


DSCF1603.jpgDSCF1668.jpg


 「体は食べ物でできている、食べ物は種からできている、種は人と大きな関係があるもの。だから種や土はすごく大事」。

 印度へ数ヶ月、種のことを学びに行った。市販の種は遺伝性がないので野菜から種を採ることはできない。もっと生命力にあふれた作物を作るためにはどうすればいいのか。種を保存し循環させるしくみ「種の銀行」をどうやって作るかを学んだ後、日本へも在来野菜のありようを視察しに夫婦でやって来た。この時、私も一緒に長崎で「種市大学」という日本の農家の人と、流通や研究に関わる人たちの勉強会に参加した。在来野菜は形が圴一になるとも限らないし、毎年同じように収穫できるとも限らない。何年も植え続けても実を結ばなかった野菜が、5年以上かけてようやく収穫できた、など一定性を保ちにくいものもある。日本のように出荷時の規格が厳しい国で、在来野菜の農家は全体の1〜2%といわれている。そんな厳しい状況の中、種を大事にし、作物を出荷している人たちを心から尊敬していると言っていた。

 「在来野菜が出荷できることだけではなく、消費者が食べてくれるよう、どんなふうに食べるのか料理法を考えてくれる人、 多くの人に伝えてくれる人、いろんな人の協力が必要なんだ」。

 やりたいことを形にしていくのは簡単ではないが、種に魅了された簡子倫の話は、熱っぽく情熱的で終わりが見えない。壮大なものに向かっているようにも見える。今後どんなふうに展開していくのか、見続けていきたい。そして、土や草の香りがあふれる生命力豊かな畑に、葉をかき分けながらまた一緒に入っていけるのを、私は楽しみにしている。


DSCF1654.jpg



簡 子倫  農夫

1984年生まれ。台湾花蓮縣花蓮市出身。花蓮市在住。

台湾在来野菜の種を採種し保存し、畑で栽培する傍ら伝統的な食と生活文化を、

現代の生活に取り入れる研究をし実践している。

簡子倫のHP(中国語): 種子野台 http://wild-seed-library.strikingly.com/